多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症をメインとして神経性難病の患者団体の運営をやっております。
・年4回、多彩なゲストをお呼びして医療イベント等を開催しておりまして、自らは、根っからの音楽好きで、弾き語りもしております。
・『生活』全般の情報の提供にも力を注いでおります。

こんなにも引っ張るのか、、

大阪コムラード  7月イベント   9月イベント


ワン君のブログがたくさんありますね、、訪問させて頂くたびに思い出します。


うちのM・ダックス君 今年16歳で 4月30日 私の手の中で 逝きました。
名前はミッキーといいました。
3歳の彼・・・足が速かった

9年前に失明してしまい、当初、散歩は行っていたが つまづきが激しくて、
可哀想なのでやめた。 自宅が彼の唯一の運動場、、、しかし、ゆっくりと壁
に当たりながら歩くだけ。色々と治療をしたが、無理で、、回復はしなかった。


まぁ これも 運命!楽しくやろう!!その後 彼は 楽しんだと思う。


私の病気が発症したのが1997年で 病名確定されたのが翌年
歩く事もままならい、、肩の荷はドンと重いし、、悶々とした3年が過ぎたころ、
彼は、、、やってきた。3か月だった。その後、私の治療と肩の荷を下ろす為に
日々 しんどくて、、でも 彼は元気に そばにいてくれた。
彼との散歩が 私のリハビリスタートだった。


世の中は上手くできている、、今思うと、彼は私を助ける為にやってきたのか?
そんな風にも思える。


逝く 二日前・・・・食欲なし、、水も飲めなくなってきた、、

そして、、、やってきた・・・


その日は 家内がどうしても出かけないといけなくて、気になりながら、家をでた。
私 一人、、、直後 息遣いがおかしくなってきた、、というか、間隔が空いてきた。
鼓動も弱くて、、それも 間が空いてきた。いよいよだな、、、そう思った直後、
大きな息を吸って、、そのまま 心臓の音が消えた。午前10時過ぎだ。
私の腕の中で彼は動かなくなった。私、、、大声を出して泣いた・・
そんな時に 色んな電話が、、すみません、午後から折り返しますので、と、
涙声、、こんなことに なってしまうんだな と、思いながら、、又 号泣。


ベランダのラベンダーで彼を埋めてやった、顔だけ出して、、眺めて、、又 号泣。


いや~ 不謹慎だが、父母が逝った時以上だ。次の事を考えなくていいので、
気持ちの なすがまま、、、だった。夕方までそれが続き、もう 目が腫れて、
どう言えばいいやら、とにかく 変顔になっていただろう。


翌日、葬ってやった。
『ご主人、最後に会ってあげますか?』と、職員さん、、そんな事聞くなよ~
と、人目もはばからず、、、又 号泣、、、なんとも こんな 
再起不能になるほどになるのか、、、。


それから約2か月半過ぎた。今彼は ここで 遊んでいる。

彼の事は書くまいと思いながら 皆さんのブログを読んでいて、観ていて、
書いているのは良いですが、、、号泣まではいかないが、、涙が止まらない(笑)。


いや~、、、彼は 太陽だったんだ 我が家の。。