多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症をメインとして神経性難病の患者団体の運営をやっております。
・年4回、多彩なゲストをお呼びして医療イベント等を開催しておりまして、自らは、根っからの音楽好きで、弾き語りもしております。
・『生活』全般の情報の提供にも力を注いでおります。

・・・・・奥さんだったのか、、、、

某病院にある 大きな壁オブジェ、、良い感じでした。こういうの 心が和みます。
この下で 打ち合わせをしていたのですが、待ち時間に撮影。
コレ、もうちょっと 影で遊んでも良かったかも?なぁ~んて 考えていました。
左の下が会計、、例のごとく ヒューマンウォッチング、、いつもながら楽しいですネ。

私のような歳になると この時期は 喪中につき、、、これが数枚届く。


彼は高校の同級生で 私より2年ほど前に結婚をしたんですが、最初に家を購入した、、確か30ぐらいに一軒家を、、わ~凄いな~!!それで皆で 押しかけた記憶がります。
奥さんは看護師さん、、ちょうど夜勤の日で、その日は会えなかったのですが、皆で 二つぐらいの子供の面倒を見て、寝かしつけてから麻雀をした。それ以降、仕事上では数回会ったが、あまりプライベートの話はしなかった。最後に会ったのが、、それでも、もう20年前だろうか、?でも 年賀状のやり取りは欠かしたことは無かった。


そのハガキ てっきりお父さんかお母さんと思っていたが、よく見ると奥さんだった。
72歳と書いてあった、、えっ!そんなに離れていたんだ~と、少し驚き。
若い頃の年齢差と、、歳がいくと実年齢差は勿論変わらないのですが、10歳ぐらい
そんなに気にならない感じになってきているが、、感覚が違う。
当時は大変な差、、それは聞いていなかった。私の家内が7つ下なので、彼の奥さんとでは15~6違う。、、、一度会ったが、、そうは見えなかった。とにかく、生活力が溢れていた記憶がある。看護師をやりながら家事もして、、みたいな生活力。


それはともかく、お歳の事もさることながら、、奥さんが亡くなられた事がドキッと
した。そういう時代にいよいよなってきたような感じであります、、先日、終活では無いですが、年金の関係とか、、例えば私が居なくなったら家内はどうなる?
結論は、家内が働いて61歳になるのを待って 私が逝くと彼女には4年間ぐらい
そこそこの年金が入るようである。勿論、65迄働くと安泰である。
おかしなもんで(笑)、何か 気が楽になったのであるが、、前提は私が先に逝く事しか考えていなかったが、、う~ん、、考えるのも嫌な気分です。


音楽でも聴きながら、、おやすみなさい。