多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症をメインとして神経性難病の患者団体の運営をやっております。
・年4回、多彩なゲストをお呼びして医療イベント等を開催しておりまして、自らは、根っからの音楽好きで、弾き語りもしております。
・『生活』全般の情報の提供にも力を注いでおります。

運命、そして命を考える時、やはり本人の希望優先!!

大変レトロな画像です(笑)。
昭和37~8年で、、8ミリフィルムからの動画キャプチャーです。

私達4人兄弟 全員が写っています。ハンドルを握っているのは?はい 次男の私です。
そうそう、、笑)もちろん、停止中の車ですよ。
横が兄、後ろが妹、弟です。
(誰が家族紹介せい!言うてんねんじゃい!))笑)まっそない言わんといて下さい。


亡き父が8ミリが好きで撮っててくれましたが、私は記憶、、全く無しです。


運命?? おかしなもので、、母が約35年前に胆石で胆嚢を摘出しました。
その22年後の平成16年、、肝臓がんがステージ3で見つかり、
19年に亡くなりました。26年には父も逝きました。


12年前には兄が同じく胆嚢摘出。そして母が逝くと同時期には弟も摘出しました。


弟、、、、、約4年前に肝胆管癌発見!放射線治療しか出来ない状況だそうだ。
しかし、今だにその事実を 兄以外の兄弟には内密に、、、との事。。。
兄も 連絡が取れにくいので、おかしいと思い、、、でも 手を尽くし何とか会い、、
状態を確認したらしい。しかし、
直接知らされていない私達は 弟には勿論、家にも連絡も出来ない。


あ~、、そんな付き合いだったのか~、兄弟って 何なのか?とかとか、色々と考えた。
が、、実は会いたいという事は、私の勝手であり自己満足であって、弟の事を考えると、
その時がきたとして、その時、向こうから連絡がくるべきもので、
今は、、、彼の物語である。自分なりに覚悟を決めた 物語を演じているのである。
覚悟を決めた 物語、、考えると、因縁というものがあるのかないのか、偶然なのか?
、、私達兄弟には 物語がある、、いや 誰でもそれはあるんだろうけど、、。


人生の突き当りが ぼや~っと見えてきた今、私の左腎臓を息子のところへ行かせて、
無事に留まらせ、そして、この会を あとに残すべく努力をして、、
それで 私の物語が そろそろ 終わっていくのだろうな~、、なぁ~んて、
考えると、命ある限り 必死に死ぬまで生きよう!、、、そう 思います。


やけに、、、重いですわ(笑)。