多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症/視神経脊髄炎/MOG抗体疾患、神経性難病の患者会をやっております。
・前身は2013年1月から立ち上げておりまして、大阪コムラードとしては2015年11月に開始しました。
・個人での情報発信は2004年から活動しております。
そして 難病・希少難病啓発活動も行っておりまして、まず、知って頂く事が大切と思っております。年4回のイベントを開催しております。

一年は『ちんつき』で終わっていました。

昔話なんですが、、


私が高校1年まで 大阪の十三というところで家業として『餅屋』をやっていました。
まぁまぁ大きな家で、一階の半分ぐらいが製造工場になっていまして、毎朝 ドーンドーンという餅つきの音が聞こえていました。『餅屋』といっても、それだけでご飯が食べれる訳も無く、饅頭みたいな物も作っていましたね。学校から帰宅すると 普通に手伝っていました、、高校に入ると従業員も辞めて、ホントに家族だけになり、、昔はそんな零細商店が多かったです。帰宅後、自由にやってる友達がうらやましかった記憶があります。


この時期になると ちんつき と言って、正月用の餅を作り始めるんですが、
私はこの名前の意味が分からず、賃ツキ なんですね、、昔 もち米を持ち込んでお金をはらい 餅をついてもらう、、ここからきているようです。
今から考えると、ど素人の(元は会計畑)父が、思い切った事をやったもんだと思います、、若い頃は自信家だったようです、、経営が悪くなると 見る影も無かったです(笑)。しかし、凄いな~と思った事がありました。


ご存知の方も居られると思いますが、拘置所近辺にある 差し入れ屋さん。
大阪拘置所にも2軒ほどありまして、そこへ 正月用に何個でしたか、、とにかく、
31日の昼から大福餅を作り始め、午後8時位に配達に行くのですから、凄い数だったと思います。新年に拘置所側が 入っている連中に紅白大福を出すのですが、
それを経由さすのが差し入れ屋になっていて、そこへ納めるわけです。


こんなところ、、どうして 開拓したのか?すごいな~、やり手やな~と思っていました。聞いたことがありました、答えは 飛び込み営業だったそうです。
自転車で凄い距離を走り 営業をしてたとの事、、いや~ 若くて燃えていた頃でしょうね。その頃は 儲けたようですが、時代について行けずに、終わってしまいましたが、
、でも、それを言っている父が自慢げで、、しかし 大きく見えましたね~。
5年前に逝きましたが。


こんな格好の良い機械ではなくて、丸見えで モターも別にあり、ベルトによって駆動させ 杵を上に上げ、自重で落とす感じでした。臼も杵も石で、、最初は怖かった。
そうそう 力餅食堂の厨房をチラッと見た時、うちと同じような機械がありました。


毎年 思い出します。母が逝く10年まで毎年 自動餅つき機になりましたが、
私達兄弟、近い親戚の分を一日かけて 二人で作ってくれていまいした。


その時は多分、、、昔を思い出しながら 二人だけの世界に入っていたんでしょう。
皆さん 今日はクリスマス、、良い一日を!