多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症をメインとして神経性難病の患者団体の運営をやっております。
・年4回、多彩なゲストをお呼びして医療イベント等を開催しておりまして、自らは、根っからの音楽好きで、弾き語りもしております。
・『生活』全般の情報の提供にも力を注いでおります。

大変重たい事件です。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんが、自らの命を終わらす事を依頼し、そして、
実行されたというショッキングな事件が起こりました。
ALS、神経性指定難病であり、私達と同じ病域に入ります。
新聞には 彼女が以前にSNSに投稿した文章が掲載せれていますが、、大変 心が痛みます。


今回の事、議論が分かれる部分でありまして結論なんてありません。言える事は、個人が思う事は自由である事、そして、この国は法治国家なので法を犯すことはできない、という事です。それに尽きると思います。


これも新聞記事ですが、同病の方々のコメントがたくさん紹介されています。求められているから、それに答えられたとは思いますが、その中に、医師が死を選択させるのではなく、生きる喜びをみいださせてほしかったという内容がありました。確かに、理想で言えば、そして、患者側からの目線ではそうでしょう、、理解できます。ただ、医師にそこまでの事を求めることは本当に良いのでしょうか?それを含めた医師の育成システムが全くできていない日本では、、恐らく一義的には無理でしょう。育成なんですよね。


患者サイドが思うのみでなく、社会全体がその必要性の意識が芽生えてきて、例えば、医師になるためには その部分も試験に組み込むとか、対応が必要になります。その事は随分前から感じていたことで、当会のシンポジウムでも議論のテーマにした事もありました。それでなくても、医師と患者のコミュニケーションに関しては 医師のその一言で傷ついたり悩んだり、ひどい場合は病状にも影響したりするぐらい重要です。


先の新聞にコメントされた方のご意見は、書けば一行ぐらいの文言ですが、そこまでの抜本的改革がなされないと、現状で医師に求めるのは方向違いと、、私は思います。そして、患者側においても医師を思う気持ちも重要と思っていまして、そこから信頼関係の構築が始まりますし、人と人とのコミュニケーションの中での医師、患者という関係が理想ではないか?と思っております。


日本で唯一、その重要性を大学のカリキュラムに導入した大学があります。

結局、このような変革をしていく結果として、本当に その部分までの事を考えることが医師としての職務であるという意識の芽生えになり、コメントされた方の意を反映する結果が導き出されるのではないでしょうか。


今回の事件に関連して思うこと、、本題から離れた部分もありますが、根本的にはこの部分と思いまして書かせて頂きました。


今朝は約一週間ぶりに一時間ほど 事件の事も考えながら ジョギウォーク してきました。、、、、非常に 重たい事件です。ご冥福をお祈りいたします、これまでしっかり生きられたと、、私は思います。