多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症をメインとして神経性難病の患者団体の運営をやっております。
・年4回、多彩なゲストをお呼びして医療イベント等を開催しておりまして、自らは、根っからの音楽好きで、弾き語りもしております。
・『生活』全般の情報の提供にも力を注いでおります。

孝行のしたい時分に親はなし されとて・・

・・石に布団は着せられず。


最近、やたら亡き両親の夢を見ます。


「東京物語」1953年の映画です。ご存知 小津安二郎監督の作品、、オマージュ作品も多数ある名作です。その中で 家族の次男で 国鉄に勤めている大阪の次男のセリフで、、
耳に残っています。


ご存じの方も多いと思いますが、広島の尾道に住んでいる両親が東京の息子、娘、そして大阪の息子を訪ねた 数日間の出来事、そして心の動きを描いた作品です。

この映画を最初に観たのは20年ぐらい前だったと思います。40代でした。
その頃は私の両親も健在で、「親にこんな思いをさせたらアカンよな」とか、さら~っと思っていました。その後、母の介護が始まり、、介護保険が2000年施行でしたから、その数年後、余命3年を告げられる病気も見つかり、大変になっていったのですが、、


それで、母が亡くなった後、一人住まいになった90歳を超えていた父の介護もバトンを渡された様に始まり、結局、施設に入所してもらったのですが、5年後に亡くなりました。


「3食付いて 何も考えることも無いし、ここに居てたら幸せやで!」とか、
帰りたい!と聞いた時に、そんな心無い言葉も言ったりしました。他にも いっぱい酷いことも言いました。逆に、認知症がひどくなってきてからは、私のことを「泥棒」呼ばわりしたり、職場の同僚にしたり、誰か分からなくなったり、たまに行く兄弟に私について酷いことを言ったり、施設の職員さんにも同様で、、また 私もその言葉に反応したりもしました。もっと他にも色々とありまして。


最後は意識が無くなり、1年間は胃ろうで寝たきり、、足なんて骨と皮。
病院側も気づかないうちに 呼吸が止まった状態で確認されました。


人間て本当に勝手で(私って本当に勝手で)、当時思ったこと、亡くなった直後に思ったこと、そして今思うこと、情けないですが、全く違うんですよね。
それと同じで、この映画も20数年前に観た時、10年ぐらい前に観た時、そして、最近では、全く感じ方が違うんですね。それは、主人公の歳になってきている事もあるでしょうが、、、。


石に布団は着せられず、、まさしくそうで、


出来る事は精一杯やったから良い!とは言うものの、、こない何度も夢に出て来てくれなくても(笑)良いのでは? そんな事を思ったりしますが、、
いや、贅沢ですね、、見れるのは幸せなのかもしれません。