多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症/視神経脊髄炎/MOG抗体疾患、神経性難病の患者会をやっております。
・前身は2013年1月から立ち上げておりまして、大阪コムラードとしては2015年11月に開始しました。
・個人での情報発信は2004年から活動しております。
そして 難病・希少難病啓発活動も行っておりまして、まず、知って頂く事が大切と思っております。年4回のイベントを開催しております。

・・・・・奥さんだったのか、、、、

某病院にある 大きな壁オブジェ、、良い感じでした。こういうの 心が和みます。
この下で 打ち合わせをしていたのですが、待ち時間に撮影。
コレ、もうちょっと 影で遊んでも良かったかも?なぁ~んて 考えていました。
左の下が会計、、例のごとく ヒューマンウォッチング、、いつもながら楽しいですネ。

私のような歳になると この時期は 喪中につき、、、これが数枚届く。


彼は高校の同級生で 私より2年ほど前に結婚をしたんですが、最初に家を購入した、、確か30ぐらいに一軒家を、、わ~凄いな~!!それで皆で 押しかけた記憶がります。
奥さんは看護師さん、、ちょうど夜勤の日で、その日は会えなかったのですが、皆で 二つぐらいの子供の面倒を見て、寝かしつけてから麻雀をした。それ以降、仕事上では数回会ったが、あまりプライベートの話はしなかった。最後に会ったのが、、それでも、もう20年前だろうか、?でも 年賀状のやり取りは欠かしたことは無かった。


そのハガキ てっきりお父さんかお母さんと思っていたが、よく見ると奥さんだった。
72歳と書いてあった、、えっ!そんなに離れていたんだ~と、少し驚き。
若い頃の年齢差と、、歳がいくと実年齢差は勿論変わらないのですが、10歳ぐらい
そんなに気にならない感じになってきているが、、感覚が違う。
当時は大変な差、、それは聞いていなかった。私の家内が7つ下なので、彼の奥さんとでは15~6違う。、、、一度会ったが、、そうは見えなかった。とにかく、生活力が溢れていた記憶がある。看護師をやりながら家事もして、、みたいな生活力。


それはともかく、お歳の事もさることながら、、奥さんが亡くなられた事がドキッと
した。そういう時代にいよいよなってきたような感じであります、、先日、終活では無いですが、年金の関係とか、、例えば私が居なくなったら家内はどうなる?
結論は、家内が働いて61歳になるのを待って 私が逝くと彼女には4年間ぐらい
そこそこの年金が入るようである。勿論、65迄働くと安泰である。
おかしなもんで(笑)、何か 気が楽になったのであるが、、前提は私が先に逝く事しか考えていなかったが、、う~ん、、考えるのも嫌な気分です。


音楽でも聴きながら、、おやすみなさい。