多発性硬化症、神経性難病患者会『大阪MS/NMOコムラード』

・大阪で多発性硬化症をメインとして神経性難病の患者団体の運営をやっております。
・年4回、多彩なゲストをお呼びして医療イベント等を開催しておりまして、自らは、根っからの音楽好きで、弾き語りもしております。
・『生活』全般の情報の提供にも力を注いでおります。

血液透析・・・

「透析をしない提案」「透析中止の選択」  考えさせられます・・・


学会指針はあるとはいえ、実際は患者・家族の負担は大きくて生活の質も低下する。
元透析患者の家族として8年間 身近で体験しましたが、それはそれは、、大変です。
ですので、その選択肢も 有!かな?とか、、自分が患者とすれば そう思うが(周囲の事も考えると)、当然ながら 親は全く違う、、勝手なものだが、、、生きてもらいたい。、、、絶対に生きてもらいたい。


うちの息子の場合26歳で始まった、、週3回、半日透析。てんかんの持病もあり、
発作は10年以上起きていないとはいうものの、投薬で血中濃度を保たなければいけない。、、透析が始まってから そのコントロールが難しかった。投薬で濃度を上げて、透析をする事で下がる。本人、、本当に辛かったと思う。勿論、仕事をしながらである。
職場の理解があったのでそれも出来た、、でも 一言も言わなかったが、難しい部分があったと思う。


そのように、患者各々の環境が精神的な部分に ゆっくりとダメージを与え続ける。
身体が辛い、社会生活の急変、、そして そのダメージとくれば、だれでもそういう事は
考えてしまうのではないだろうか?ただ、そこには 患者の年齢が影響するのも確かであり、、そして、周囲の応援も不可欠だ。


eGFRという腎機能の検査数値があるが、提供前は70を超えていたが、術後は現在も40ぐらいになっている、、これは普通の事だそうだ。当然、一つになったのだから
当たり前。30を切ると尿毒症が現れるとの事で、息子も同じぐらいのレベル。
全く ろ過が出来なかった腎臓が、ここまで回復したのだから息子に対しては 親として
最高の仕事をしたと思う。私の腎臓が 命を繋いでくれた。
そして、今秋 結婚の決断も出来て、(実際は入籍済み)親として こんな嬉しい事はない。


でも、この先 私が透析が必要になったとしたら、今の気持ちは拒否するでしょうね。
自分がしんどいではなくて、周囲が大変だし(これは 絶対に言わないが、、)、
様々な部分に影響を及ぼす。そう考えている。


というように、その選択肢はあって良いのではないのか?
当事者予備軍として そう考えます。ただ、後日 問題が起きないように きっちりとやらないといけない。


(笑) 朝から重たいですが、マスコミが やたら騒いでいるので書きました。


今日の大阪は良い天気です。昨日、外部で越冬させたポトスを温室から出しました、、
というか 温室を解体しました。生きています、、強いです。